「開き直り」と「反省」の違いとは?

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 こんにちは。今日は非常にお気に入りのお店でランチしてきました。あぶどぅるです。
 六本木の「ブラッセリー・ヴァトゥ」というお店なのですが、魚料理・パンともに非常においしくて
ランチは1000円。お勧めです。ちなみに、パンはお代わり可能です。

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 ブラッセリー・ヴァトゥ
 http://tabelog.com/tokyo/A1307/A130701/13007740/

 近くに行かれた際には是非♪

「自分で何とかできるよようになる」にはどうすればいいんだろう?

 さて、本題。

何かを人のせいにしてイラっとするのは違うかなーって

 先日、ツイッターでこんな書き込みが回ってきました。

”他人にイラってしてしまうのは、他人に求めすぎてるから。思い通りにいかないからついイラってなってしまう。自分の思い通りにいかないのは、実は自分自身が思い通りに生きることができていないから。思い通りの自分を違う誰かに求めることはしないこと。”

 これ、基本「その通りだなー」と思います。

 だれかに期待したり、信頼したりするのは良いと思うのですが。

 ただ、それが思い通りにいかなかった場合は、「期待した自分」を反省したり、という形で「自分がどうできたか」を感がるのが、気持ち的には再発防止の観点でも良いんじゃないかと思います。

 結局、人のことはコントロールできないですからね。もちろん、「イラッとする」のとは別に、その人に対して「指導する」や「注意する」のは良いと思いますよ?

「自分はどうせ」って考えるのはもはや「自責」ではない

 で、ここからが本当の本題。

 たまに、「人のせい」にはしないものの

 「自分はどうせダメだから仕方ないね」

と自虐・諦めに入っている人がいると思っています。開き直りとも言いますかね。これは、本質的にはもはや「他責」にしてしまっていて、次には繋がらないんじゃないかと思っています。

 「自責」か「他責」かの本質的な違いって、「自分でコントロール可能なことか否か」だと思うんですよ。

 そういう意味で「自分はどうせダメだから」というのは、自分を第三者視点から「コントロールできないもの」として捉えており、そういう意味で「他責」とほぼ同義なんじゃないかと思います。

 自分で対応可能だったとするのであれば、「反省」であり次へつながると思うのですが、「自分はXXだからどうしようもなかったね」という開き直りは、「次に同じようになってもどうしようもないね」と言ってるのと同じですからね。

結局、「次に良い結果をもたらす」ことが目的

 何か問題が起きた時に原因を考えるのって、結局、「次に良い結果をもたらす」ことが目的なんだと思っています。

 そのためには、原因を「自分のコントローラブルな範囲」に見出し、修正することが大切かな、と。そんな風に思います。

 

では、本日はこのへんで。今週も頑張りましょう。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

あぶどぅる