方程式を小学校で習得・活用するのはアリかナシか

家庭教師
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どうも、あぶどぅるです。まだまだ暑いですねえ。
台風が来たり雷鳴が轟いたりと天気もいまいち、体調も不安定だったりします・・・。

スケジュールという意味だと、中高生組もようやく新学期が始まり、私も通常進行に戻り、夏休みよりは多少ゆとりをもった形で進められています。
指導の谷間に、ジョジョ6部を少しずつ読んだり、文豪ストレイドッグスの小説読んだり、ヴェールドマン仮説(西尾維新)読んだりできるくらいには・・・。

まあとはいえ、秋になりいよいよ受験も実戦モード。志望校別特訓が入ってきたり、模試も増えてきたりと息つく暇はそれほど無いんですけどね。
そもそも、「人が違えば、同じ受験は二つと無い」ということで。「通常進行」なんて概念が存在するのかも怪しいよなぁと思う今日この頃です(=ω=)

方程式を小学校で習得(中受で使用)するのはアリかナシか

さて、タイトルの件。
少し前に、盛り上がってた話について、私見をまとめてみようと思います。

OK・NGの話だと、中学受験でも学校によっては「方程式使っても問題ないよ」と表明してる学校もありますよね。
・・・とまあ、ルール上の問題は一旦は良いとして。その上で、有効かどうか(教えるかどうか)について。

私は「教え子の成熟度によって、使いこなせるなら教える」というところかなと思っています。

まず、「方程式が使いこなせる」とはどういう状態か

まず、「方程式を使える」という状態を簡単に分類してみましょう。
ざっくり段階で分けると、以下の二つになるかと思います。

  • 方程式を「立てる」手順
  • 未知数をxなりyなりと置き、問題の条件から等式を(未知数の数だけ)作り出す手順です。

  • 方程式を「解く」手順
  • 上記でできた式から、未知数を求めます。
    「2x+3y=8、3x+y=5」という状態からx,yを求める、というイメージですね。

まずは、この2つの手順を分けて考えることが重要かなと考えています。
そして、この2つの手順のうち、「方程式を『立てる』手順」の方が難しいと考えています。

方程式を「立てる」能力は、いずれにしても必要

で、この難しい「立てる」手順ですが、これは方程式の使用有無に関わらず習得が必要な能力と考えます。

わからない数を「〇」「□」とか置いて、逆算で求める方法。簡単な例ですと「底辺5cm、面積20㎠、高さは何cm?」みたいなのもこれに含まれますね。比のところだと、「AとBの面積比は3:5⇒Aの面積を③、Bの面積を⑤と置く」という置き方もありますね。

これは、方程式の初歩みたいな解法なんですよね。
そして、方程式を(xやyなど文字式を使ったり、正負の計算が混ざったり)使わなかったとしても、必要となってくる能力でもあります。要は逆算と言われるものですからねぇ。
つまり、前述の「方程式を『立てる』手順」については、方程式の使用有無に関わらず、みんな身に付けていっているんですよね。

逆の言い方をすると、「方程式を使う人と使わない人の差」って、等式を立てた後の計算方法だったりという処理の仕方の部分だけなのかなぁと考えています。
方程式を使わなくても、できる子は方程式的なことはやってる、というか。本質的なロジックの部分は同じですからねぇ。

じゃあ、方程式のメリットがないかというとそんなことはない

では、方程式を使うメリットが無いかというと、そうでもないと考えています。

  • 「未知数を設定し、等式を作ることができれば勝ち」というパターンが明確になる
  • 本人の中で「未知数の数だけ式を立てることができれば、そこからはイケる」という勝ちパターンが明確になります。
    この「問題の単純化」はとても強力であると考えます。

    「まず、何するかわからない。問題によって、初手を出し分けなければいけない」という状態と「等式さえ立てれば答えが出ることが約束されている」という状態、当然後者の方が、複雑な等式も安定して立てることができます。

    汎用的かつ確実性の高い「自分の中での勝ちパターン」の確立というのは、正解率の安定化という意味で非常に有効ですが、その意味で方程式というのは優れた汎用性を持ったツールなのかな、と思います。

  • 方程式的な書き方に慣れることで効率的になる
  • 等式の処理の仕方(式を連ねて書いていくのではなく、左辺右辺をそのまま計算しながら下に書いていく)や正負の計算、移行の考え方、文字の消し方(消去法/代入法)を身に付けていると、単純に「等式立てたあと、どうしよう?」となるリスクが大きく下がります。
    もちろん、これを知らなくてもできるように中学受験の問題はできていますが、知っていればだいぶ楽になります。

    例:「3x – 2 = 14 – 5x」など、もちろん線分図などでイメージすることはできますが、「両辺に5xを足す(5xを移行する)」手順が身についていれば迷う暇がなくなるかと思います。

    対して、デメリットは?

    で、反対にデメリットはないかというと、もちろんそれもあると考えています。

  • 方程式を使うべきか使わないべきかの判断が必要
  • 人って「使える道具が多ければ多いほど有利」かというとそうではないと思います。もちろん「使いこなす」ことができるなら有利なのですが、「使いこなす」ためには「状況に応じて、どの道具を使うのが最適か」を判断し出し入れする能力が必要です。
    下手に多くのツールを使えるあまり「どの道具を使えばよいか迷ってしまう(その結果、少ないツールのみで戦ってる人に後れを取った)」というのはよくあることで。

    端的な例としては、方程式を特別な手法と思い過ぎ、「どうやってホーテーシキを使おう?」と思考停止になることがあります。場合の数で「x通りとする・・・」と書き始めて、「いやーそりゃ難しいんじゃないか・・・」となったり。(漸化式とかなら無いわけではないですが)
    中高生になって公式や定理が増えてくるとよく見られる現象なのですが、これはとても危険だと考えています。

    あくまでいくつかの手段の一つとして捉え、ケースにより出し入れする。そこまでできて初めて「使いこなす」と言って良いかと思います。
    「これは方程式でできるよ」という前提下で「方程式を使えた」だけだと少し足りない、もう少し実戦練習が必要なイメージですね。
    (るろうに剣心、安慈和尚の「極めるとは、こういうことだ」という言葉が思い出されますねえ・・・)

    ・まとめ
    まあ、色々書きましたが、簡単にまとめると

     ・「方程式さえできれば楽勝」とは思いません。適切に立てられるようになるには訓練が必要
     ・上記訓練は◯や◻︎を使う場合でも、類似の能力の習得は必要
     ・使えるツールが増えるということは、いつ使うかの判断力が必要(これは面積図でも樹形図でもなんでも)
     ・これを踏まえた上で、教え子のキャパや目指すレベルに応じて使用するのは良いのでは

    というところかと思います。

    大人的な「方程式使えば簡単じゃん」って意見について

    さて、ここからはちょっとおまけ。少し話は逸れますが。
    「方程式使えば簡単じゃん」って意見ありますよね。これについて、少し書いてみたいと思います。

    端的には「言ってることは間違っちゃいないが、『簡単』ではないかな」という風に考えています。

    「文字式を使う」ことと「等式が立てられる」は別能力

    まずちょっと言葉を整理しておきましょう。「方程式が使えれば」というのは、同じ文言で複数の意味合いで使われているケースがあるかな、と感じています。つまり、

       ①「文字式を使えば」という意味
       ②「問題文を式にする能力とそれを解く能力があれば」という意味

    の二つですね。で、各々について発言者の意図により。

    ①という意味で言われたとすれば私は「そうでもないかな」と答えます。
    前述の通り、文字式自体はみんな使っているようなものかと考えています。

    ②の意味で言われたのであれば私は「正しいが、それ自体が小学生には簡単ではない」と思います。
    これって要するに、前述の「方程式を立てる能力を身に付ければいいよね」というのと同義なわけで、
    それは小学生にとって簡単なものではないですよね。
       

    「未知数を置いて等式を立てる、というのに苦労している」という課題は
    「方程式を使えば解決する問題」という類のものではなく。
    「方程式を使いこなす上で、セットで解決すべき課題」と言った方が正確かと思います。

    いずれにせよ、「方程式を使えば自動的に解決する or スキップできる」わけではないんですよね。

    なぜ大人は「方程式使えば簡単じゃん」と感じるか

    この辺の誤解というか混同は、一般的に文字式・方程式を習得する時期によるものかなと考えています。
    つまり、「未知数を置いて等式を作成する」という能力を「方程式を習う際に同時に身に付けた」ため、「方程式によって解決した」と錯覚してしまうというか。

    その「未知数を置いて等式を作成する」力はその人が、方程式を習う時期に国語力(文章を理解する力、同義の数式に落とし込む力)の習得と平行して身に付けてきたものかと考えています。

    なので、実際は「小学生に方程式を教えれば、難問も解けるようになるんじゃね?」とそう簡単でも無いのかな、と考えています。

    最後に

    私は、「数学」と「算数」は非常に関連性の強い、地続きなものだと思っています。

    算数で得た能力は数学でも役に立つことは非常に多いですし、中学受験で算数しっかりやってる子は、多かれ少なかれ数学の習得の際にも差があると感じています。

    そしてそれは、数に関するものだけでなく、「日本語を読んで数式に落とす能力」や「ものごとを漏れなく、ダブりなく分類する能力」などかなり複合的な能力だと思います。

    ただ、だからといって「数学は算数の上位互換だから、数学やりゃあ算数もできるだろ」となるかというとそうでもない。
    算数をやる際、数学の範囲の中で役立つものもある。そのような関係なのかな、と考えています。

    自分が指導する時には、「何を習得するのに、前提として何が必要か」の前後関係だけはしっかり整理しつつ、教え子の好奇心や即時的な必要性を考慮した上で、各能力を積極的に伸ばしていってあげるのがその子の糧になるのかな、と考えつつ指導するようにしています。

    「中学受験で目標の達成を」というのと「中学受験だけで終わらない学習を」は決して矛盾するものではないと思いますので。両立させたいなって。

    とまあ、小4から中学生、高校生から大学受験まで色んな学年を教えつつ、そのように思う次第です(=ω=)

    ===================

    以上、最後までご覧いただきありがとうございました。

    季節の変わり目、皆様も体調にはお気をつけて!!

    コメント

    1. aaa より:

      Test

    2. 有賀隆夫 より:

      大変興味深く拝読しました。等式を立てるためには結局は割合であったり、速さの関係であったり諸々の算数の知識が必要だと思っているので最終的な計算方法の違いだよなぁと考えています。それをわかりやすい言葉に変換してもらえて非常に勉強になりました。今後もブログがんばって下さい。