こんにちは、あぶどぅるです。
流れる雲に秋アニメの訪れが感じられる昨今ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
帰省したついでに色々と漁ってみた
私はと言うと、昨日まで3日ほど実家に帰っておりました。
先月の帰省予定が台風で吹っ飛んだこともあり、少し遅めの夏の帰省ですね。
自分の中学受験グッズ、まだ残ってるかなーと漁ってみたところ
昔懐かしNカバンやら、成績表やら、合格体験記やら色々と出てきました。
あとは日能研名物、寄せ書き付き手ぬぐいですかね。
こっちは普通に部屋にずっと飾ってあるのですが。
中央の「楽しんでおいで」と右の「彼も人なり 我も人なり」は今でもとても好きな言葉ですね。
「あー、この時期に浜学園の模試受けにいったなぁ」とか「あの先生元気かなー」とか懐かしくなりました(=ω=)
あとは「家庭教師たのしくやっとるよ」と親に報告したり、母に今の自分の教え子の話をしつつ、ちょいちょいアドバイスもらったり。
いっぺんどっかで「杉本家の教育方針」みたいなのは書きたいなーとは思ってるんですよね。
それ自体は「自分が親にどう育てられたか」って話ですが、それはそのまま今の自分の中の価値観に色濃く受け継がれていると思います。「中学受験とは別に、小学校低学年や受験しない子が身に付けとくことある?」と相談を受けることがあるのですが、そういう時には特にこの部分が強く出たりしますね。
まぁ、勿論それを教え子やご家庭にそのまま押し付けたりはしませんが、なんかの参考になるかな、と。
さて、てなわけで。オープニングトークはこのへんで、タイトルの件を。
進学先、親が決める?本人が決める?
親と子で希望校が違う場合ってありますよね
割とありますよね。子どもは「XX部の出し物が面白かった!!」と結構目の前の情報で判断しちゃいがちですしね。
勿論、そのような感覚的な印象や憧れも大事だとは思いますが、親的には「他にも考慮したい部分はあるんだけどなぁ」となったりというのも多かったり。
学校説明会での先生の様子や教育方針、校風などで「親的にはちょっと・・・」みたいなケースも多いのかなと感じています。
で、このような時に「子どもの意向を尊重してあげた方がいいんでしょうか」みたいな相談もちょいちょい頂いたりします。
この部分について本日は書いてみたいと思います。
後半は、学校選びに関わらず「誘導しちゃうのって良いのかな」みたいなところの話ですね。
「自分で決めたという認識」と「大人の意見の加味」は矛盾しない
結論としては、私は以下のように考えています。
→「親が決めた」という認識は避けたい
→ 親の視点から見えるリスクやリターンは噛み砕いて伝えるなど、アドバイスが必要
イメージは「子と親」→「経営者とコンサルタント」「ご家庭と塾」みたいなものかと思います。
親側も、自分の中で腹落ちするまで全力でアドバイス。決断は子、みたいな感じですね。
「自分で決めた」という認識はその後の力になる
やはり本人の「行きたい」という気持ちは受験に臨むにあたっても、進学し学校生活を送るにあたっても、強いモチベーションになるかと思います。
希望する学校であればより「行きたい」と思い、また希望した学校で生活を送りその結果を享受することはそれ自体が「自分の決定の結果を自分で受ける」という意味で糧になるものかと思います。
逆に、「親が言うからここにした」というのがあると、「本当はこっちが良かった」という迷いや、下手をすると「親が決めたからいっただけ」「だから頑張らない」「だからサボる」といった言い訳の種になってしまいかねないかなと思っています。
また、「自分が何か希望を言っても、どうせ親が決めるんでしょ」と、「自分が何かを決断し、その結果を自分が受ける」という心の成長を挫くことにもなってしまいかねないと考えています。
じゃあ、親の意見は我慢で「子に任せる」かというとそれも違うと思います
ただ、その意思決定の過程で、大人の視点からのアドバイスは必要・重要かと思います。
まだ子どもには十分に認識できない、学校の指導方針や、校長先生の考え方など、子どもには理解しづらいリスクなどもあるかと思いますので。
イメージとしては「子の意見と親の意見、どちらを優先する」という対立の構造ではなく、「親の意見を注ぎ込みつつ、子の中の優先度を緩やかに変える(みんなが納得するところに落とし込む)」という感じですね。
子どもに「こういった考え方をしてほしい」と願い教育するのは、誘導か?
で、ただこう書くと「それって誘導では?下手したら洗脳では?」という風にも見えかねないなーと思われるかもしれません。
(僕も書いてて「そう見えるなぁ」とは思いました・・・)
となると話は「そもそも『誘導』って悪いこと・避けるべきこと?」という点になってくるのですが。
この点については個人的には「誘導っての自体は別に悪いものじゃない」と考えています。
例えば、
「子どもがカメをいじめていました。親は『そんなことをしてはいけないよ。かわいそうだ』と言いました」
これを「誘導だ、良くない!」と印象を持たれる方は少ないと思います。
んじゃ、学校選びで「こっちの学校の方がこんな理由でいいと思うよ」と言うのって、これと何が違うんでしょう?
個人的にはあまり変わらないかなーと考えています。
私は教育って、「子どもにこんな心とこんな能力を持った人になってほしいという願いを込めた誘導」だと思っているんですよね。
それ自体は決して悪いことでもなんでもなく、教育というもの全般に共通するもので。
ただその中で、「子ども自身の納得感を無視して無理やり行われる」だったり「教育側の都合で子の利益にならないことをわかりながら行う」といった要素が入ってくると、それは「(良くない)誘導」であったり「洗脳」となるのかな、と。
「子どもの中の価値観を尊重したい」はその通りですし、私もそう思うのですが、そもそもその価値観を作り上げるのは親御様を中心とした周囲の環境かと思います。
いずれにしても、赤子から成長していく過程で「周りが誘導しない」こと自体が不可能なことかと思いますので「その子のためになるように」誘導していくのが良いのかなと思っています。
あ、でも。一応注釈を。
もちろんですが、「その子のためを考えた」からといって「何をしても良い」わけではないと思っています。
やり方・伝え方は重要ですし、だんだん出来上がってくる「ご本人の中の価値観」に沿わないコミュニケーションだと反発や不整合を起こしてしまうと思いますので。念のため。
結局「みんな納得」が一番と思います
というわけで、話を学校選びに戻しましょう。
前述のように、「子どもに選ばせるから親は干渉しない」も「子の意向を無視してでも親が良いと思う学校を受けさせる」も極端すぎるのかなと思っています。
改めて、結論としては
(実態として親がどのくらい誘導したかは別として)
子どもにわかりづらい要素ならしっかり噛み砕いて伝える。
という風に考えています。
親が「この学校、こんなリスクあるなぁ」と思いつつ、でも伝えなかったら。それって、入学後に顕在したときに悔やんでも悔やみきれないですからね。
この辺の伝え方はとても微妙で、繊細なところだと思います。
「親が強く言うからもう面倒だからこの学校でいいやと思った」はNG
「親があれだけ良いというのであれば、この学校のこの点はそれほど問題ないんだと感じた」はOK
みたいな。
結局、納得感であり、「どう伝えるか」といった要素も大きいところかなと思います。
大学進学実績、学校選びの際に検討した方が良いですか?
あ、あともう一つだけ、Tips的に。
「大学進学実績とかって、学校選びの際に検討した方が良いですか?」というところ、ちょっとだけ個人的考えを。
結論としては
と考えています。あくまで個人的な好みですけどね。
中高6年の学園生活、とっても大事ですよ?
中高生活って、予備校ではないですからねぇ。
いくら大学進学が優秀でも、六年間が大学受験のための我慢期間みたいになるのはあまりに勿体ないかと。
6年間の学園生活、楽しくなきゃねぇ。いやほんとに。
勿論、楽しいあまりに将来の選択肢を減らし過ぎるのもそれはそれで軌道修正が大変なのでバランスの考慮は必要ではありますが。
少なくとも、進学中学を選ぶ際は「(勉強もそれ以外も含めて)その学校で楽しく充実した6年を過ごせるか」という点を重視したい というのが個人的な考えです。
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というわけで、本日はこの辺で。
最後までご覧頂きただきありがとうございました。
インフルも流行り始めてるみたいですので、体調には皆様お気をつけて。
では。
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