お盆休みに、合宿行ってきました
こんにちは。お盆休み明けのあぶどぅるです。
あいにくの台風で帰省は延期となったものの、バンドの合宿的なものに行ってきました。
合宿っていうより、バンドやってる人のオフ会みたいな感じですね。千葉の、合宿所付きスタジオみたいなところでやってきました。40人くらいで。
事前に掲示板で「この曲やりたいー」ってのを皆で挙げて、各人が「俺、この曲のドラムやる」とか書いていってパート揃った順に曲が決まっていき、当日一発勝負で演奏、みたいな感じですね。
演奏以外にも、BBQやったり、海行ったり、海ほたる寄ったりと、夏を詰め込んだ二日間で思い切り充電してきました!
↑夜に合宿所横で取れた写真。これ、太陽じゃないんすよ。月なんですよ。こんな明るく見えるもんなんですね!
中学受験でどこまで親がサポートして良いのでしょう?
さて、夏休み日記はこのへんで・・・本題を。タイトルですが、結構、指導先ご家庭で聞かれたりします。
「べったりでもいいんだろうか」「他のご家庭だと、子どもが自分でこれもやってるのだろうか」といったところは、皆様気にされるところかな、と思います。
中学受験においてサポート量は多くても問題ではない
結論から申し上げますと、私個人としては「サポート量の多寡はそれほど問題ではない」と考えています。
通われている塾によっても、スケジュール管理や教材管理、ToDo管理などの難易度も異なるかと思いますが、そのうちどれだけを子自身がやり、どれだけを親が行うか。それはご家庭ごとにまちまちでも良いかと思います。
「情報整理やToDo管理、スケジューリングなども含め総合的に成長する機会としてほしい」という方針であれば本人に任せるも良し、「子どもには学習部分になるべく集中してほしい」という方針であれば多めに親御様がサポートするのも良いかと思います。
大事なのは「そもそも自分のこと」という認識
で、本題はこっちなんですよね。個人的には「サポートの量」より「サポートに関する認識」の方が大切かなーと思っています。
「どの程度のことを親がやるか」という量の話ではなく、「そもそもそのタスクが誰のものか」という認識の話ですね。
端的に言えば、「超親がべったり」な状況でも、子どもの中に「手伝ってもらってる」つまり「そもそもは自分でやるべきことだけど、キャパ的にできない分をしてもらってる」という自覚があれば問題ないかなと思っています。 その自覚があれば、本人が成長してキャパが増えてくれば自分でやれるようになるかなと。
おもちゃの片付けとかで単純化するとイメージしやすいかと思います。
①親が子どもに「片付けるから手伝って」と言う。
②「自分で片付けな」って言って子どもが親に「手伝って」って言う。
主体が逆なんですよね。「どちらが是」ということを言うつもりはありませんが(ご家庭ごとの方針ですので)、ただ個人的には②の方をお勧めしています。
「どのくらい自分でできるか」は能力的な話で、成長に応じて変わっていきます。体力的、負荷の容量的にまだ未熟な間にはがっつりサポートするのも良いのかな、と考えます。
ただ一点、子ども自身が「リーダー」「自分が」という自覚を持つ。 会社の社長やプロ野球の監督などと同じで(他の色々な人の力を借りつつも)「全て自分のこと」「俺の責任」という認識。「自分のことは自分が考え、必要に応じ『自分が』人を頼る」といった認識は、周囲がそれを意識した上で声掛けを続けることで育んでいけるんじゃないかなと思います。
中学受験を通じ自主性・自律性をどこまで身に付けてもらいたいと考えるか
とはいえ、「上記のような認識を持ってほしい」というのは私個人の願いであったり、好みといえば好みかもしれません。なので、「こうすべし」ってものでもないんですよね。
例えば、逆の方向の意見を挙げると「うちは、そのような当事者意識的なところは中学に上がった頃に身に付けてもらいたい」というご家庭もあるかもしれませんし、それはそれでいいんじゃないかな、と思ったりもします。
なので、いずれにしても大事なのは、「子どもにこのような姿勢を身に付けてほしい」「この歳までにこのような能力を身に付けてほしい」といった方針をある程度明確化し、それに合った声掛けをすることなのかな、と考えます。
==========================
では、本日はこの辺で。ご覧いただき、ありがとうございました!!
コメント