こんにちは、あぶどぅるです。
先日、このブログについて大学時代のサークル(駒場子ども会)の当時の子どもやら先輩から「久しぶり、見てるよー」といったメッセージやコメントを頂きました。意外に見てらっしゃるのね・・・と嬉しいやら、少し気恥しいやら。
様々なSNSで繋がれるようになった今、どこかのコミュニティでの活動が終わっても、球磨川先輩の仰る通り「人と人との繋がりは『なかったこと』にはならない」んでしょうね(めだかボックスという漫画のネタです、わかる方以外はご放念ください)。
どんな形で誰と再会するかはわかりませんが、一つ一つの良き繋がり・良き縁を大切にしつつ、過ごしていきたいです(=ω=)
中学受験に向けた低学年・幼児期の習慣習得のすすめ
さて、本題。前回の続きで「受験勉強が本格的に始まる前、低学年や幼児期の間に何をしておけばいいか?」というお話でしたね。
前記事:受験に入る前、幼児期~低学年に身に付けておいてほしいことpart1
前回は、「正しい日本語を使う」「自分のことは自分でする」など4つの具体的なポイントをお話しました。内容的には低学年の子には中々ハードルの高いものであったかもしれません。
では今回は、「低学年からこのような習慣付けに拘る理由」「子どもが習慣を身に付けていくために気を付けてほしいポイント」についてお話したいと思います。
なぜ小さい頃からの習慣に拘るか
まず、なぜ小さい頃からの習慣に拘るか、について。一言で言うと「三つ子の魂百まで」だから、です。
途中で基準を変えると子どもは混乱する
子どもが何か好ましくないことをした時に「まだ小さいから」と見逃してしまうこと、珍しくないと思います。些細なルール違反でも、人への無礼でも、なんでも構いません。そして、それは永続的に許されるものではなく、どこかの年代で指摘されることかと思います。
ただ、子どもにとって「小さい頃は許されてきたけど、ある時突然『ダメ』と言われるようになった」ということは、少なからず混乱や「なんで?」という理不尽さを感じさせてしまうことがあります。それが高校生や大人になってからならともかく、「幼稚園や低学年ではダメだったが、高学年では注意される」という精神成熟面で微妙なタイミングだと、特にそう感じられるでしょう。
明示的に「これまでOKだったけど、変えよう」とするのであればまだ良いとは思います。逆に「なんとなく、そろそろこれはもう年代的にダメでしょ」と親が感覚で基準を変えて突然怒り出すと、「え、なんで?」という反応になるのは仕方ないことかと思います。明示せずとも周囲から自然と身に付けていく能力も多くありますが、かといってそのような「周りの空気を読んだ成長」のみから、子の想定通りの成長を期待するのは中々難しいのかなと考えます。
話を戻します。とはいえ、明示的に理由を説明したとしても、一度身についてしまった習慣を変えるには大きな労力とストレスがかかります。会社でも珍しくないですよね。「あまり好ましくない慣習や暗黙のルールだけれど、小規模だし」で放置し続けると蔓延し、どんどん変えることが難しくなってきています。小さいうちから、こまめに対処していれば・・・ということ。そして、途中でそれを禁じる社内ルールを作るとなると、それまでの仕事のやり方を変えなければならず大きな反発があることも想像に難くないでしょう。
ですのでやはり個人的には、幼児期だろうと青年期だろうと変わらぬ『こうなってほしい』は伝え続けるのが良い、と考えます。おもちゃ遊びでも、交通ルールでも、友達とのコミュニケーションでも、受験勉強でも。
ちなみに、前回の最後でも少しお話ししましたが、あくまで「基準を同じにしましょう」というだけで、「できなかった場合の対応」は異なって良いと考えています。例えば、自分でやるべきことを「ママ/パパがやってよー」と言った場合、幼稚園の場合と、小学校高学年の場合で対応は違うでしょう。幼稚園児だったら「自分でやることでしょ?」とたしなめる、高学年だったら「何言ってんの?」と呆れ&キレられる、みたいな感じですね(もちろんご家庭の基準にもよるので例えばですが)
どちらも「そうじゃない、ということを伝える」という意味では同じですが、どんな伝え方をするかは異なって良いと考えています。「子にこうなってほしい」が同じなので伝える内容自体は同じ、でも「今それができていないことがどれほどマズいか&緊急性が高いか」は年代によって異なりますからね。
自分の中の「当たり前」は行動ストレスを軽減する
もう一点。前項の「あとから変えるのは大変」という理由の逆、「ずっとそうならストレスは小さい」という理由ですね。
ある行動について、習慣にしてしまえば、同じ行動を取るのにもストレスは少なく行うことができると考えています。「自分のことは自分で」や「机の前で勉強する」のも「小さい頃から当たり前」にしてしまえば、よりストレスなく、頑張らずに行えます。
勉強でも同じこと。例えば「毎日勉強を6時間する」ということについて考えてみます(「勉強を6時間するのが是か非か」については別議論なので、割愛します)。「勉強を6時間する」ことを前提として「それを当たり前のことと認識してる子」と「非常に困難なこと」と認識してる子」であれば、前者の子の方がストレスは少なく実行できるのはイメージしやすいかと思います。酸素の薄い地域の人の心肺機能が普通の人より優れているのとも近いかもしれません。
進学校に進むメリットなどにも似たような要素があると考えています。同じくらいの成績を取る前提(例えば大学受験の駿台模試で偏差値65を取る、など)であれば、平均偏差値が65の学校で学校内順位の真ん中くらいを取る方が、平均偏差値45の学校でトップを取る(つまり、周りがあまり勉強していない中で一人頑張る)より容易でしょう。
ですので、同じ価値観や行動指針を身に付けるのであれば、「まだ小さいから」となあなあにせず。小さい頃だからこそ「これが当たり前」という認識を作っておくことが、ストレス無く行動できるような成長に繋がると考えます。
習慣を正しく身に付けていくために
さて。ここまで、「なぜ小さい頃からの習慣を重視するか」についてお話してきました。ここからは「習慣を正しく身に付けていくために気を付けてほしいポイント」についてお話致します。
身に付けてほしい習慣や考え方を親自身が明確化する
まずは、「何を身に付けてほしいか」を明確にする必要があります。親(もちろんその他指導者でもですが)の中でも不明瞭で「なんとなく」な状態だと子どもには伝わらないのは当然というものでしょう。
「こんな考えを身に付けてほしい」「だから、子がこういう行動を取った時はこう伝える」と明確に考え、具体化しておくことは、子どもにそれを身に付けてもらうための第一歩です。
適切な「痛い目」を子ども自身が受け、反省する機会を作る
自業自得、と言っても良いかもしれません。子の行動の結果を、子自身が受けるということですね。前記事で
「得とか損とか関係なく約束は守るものである」といった道徳的な面と、「破ったら自分が損をする」という論理的なインセンティブの話、2つの側面
と書きましたが、その後者の方です。受験だと「自分のことでしょ」という話は良く聞きますが、その認識は、体験を通じて身に付けておく必要があると考えています。
実際の報いをダイレクトに子に被せるのは無理がある、というのは承知しています。「友達との約束を破った→その友達から無視された」「廊下で走った→転んで足を擦りむいた」とかならまぁ良い勉強とも思いますが、「交通ルールを守る必要性を教えるために、交通事故に遭うのも止む無し」なんて流石に思えませんもんね。
ですので、疑似的な「自業自得」でも良いかと思います。「叱られる」というのもその一つでしょう。
いずれにしても「自分がやった間違い(親から見て好ましくないと思う行動)」とそれによって発生する「自分の不利益」が、リンクするように伝えてあげることが重要かと思います。
逆に、この点を「手間がかかるから」となあなあにしてその場しのぎを繰り返すと、子の中に「ゴネ得」という成功体験が溜まってしまい、それが習慣化してしまいます。
少し生々しい例を。中学受験で「ガミガミ言われるから、家庭教師のいる時だけ一応勉強する」という姿勢である程度志望の中学に合格したとします。この場合、「言われたら最小限勉強する、で何とかなった」という成功体験を積んでしまったことになります。そうなると、中学に上がってからも一切勉強しなかったり、中・高校でも家庭教師漬けになる危険性が高くなってしまいます。
前述の「自分で自分を管理し、自分で勉強する」理由(インセンティブ)が無いので、当然の流れかと思います。「これで今までやってこれたもん」と。
決して「罰(間違ったことをしたら辛い思いをする必要がある、みたいなの)」を推奨するわけではありません。小さなことでも親が全面的に「何とかしてしま」わず、本人にその行動と結果を認識してもらう(そのように伝える)ことが大切なのかなと考えます。それは精神面の成長においても、受験の成績向上においても、同様に。
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といったところで、本日はここまで。2回に渡ってお送りした「中学受験に向けて低学年や幼児期に身に付けてほしいこと」これにて一区切りです。
杉本家(というか僕自身が身に付けた価値観)の傾向も強く出ていますので、そこは一例ということでご了承頂ければと思います。「どんな考えを身に付けるべきか」はご家庭ごとの考えであり、どれが正しいというものではありません。
その考えを「子にいつ/どうやって身に付けてもらうか」という部分に着目しつつ、お役に立ててもらえればなと思います。
では。最後までご覧頂き、ありがとうございました!
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